シカオちゃんがフィギュアスケートに出会ったら Fantasy on Ice 2022

 

 

楽しみにしていたアイスショー、Fantasy on Ice2022がいよいよ開催された。正式に開催されるのは、3年ぶり。アイスショーを楽しめる日常が、少しずつ戻ってきたのかな、と少しほっとする気持ちが湧いて来ていた。ゲストアーティストの発表があった時、驚きを隠せなかった。私が長年ファンでいたアーティストさんの名前がそこにあったからだ。

その人の名前はスガシカオ

1995年のデビュー以来、存在感のある楽曲で魅了し続けている個性的なシンガーソングライターだ。

私がスガシカオさんの楽曲に強く惹かれたのは、1999年リリースの「夜明け前」からだった。

独特の渇きを感じさせる歌詞とクールな楽曲。聞いたとき、「夜中ってそう思うことがあるよね…」と強く共感させられたのを覚えている。

更に、1999年、スガシカオさんは「甘い果実」という衝撃的な作品を世に出している。

重苦しい情念と背徳的な歌詞。正直言って心臓がどくどくなってくるような、背筋がぞくりとなるような。なのに聞いた後、なぜか元気になってしまうから不思議だ。正直、この時、私は仕事で悩みを抱えていて苦しかった時期だった。そんな自分の心情が、この曲によって洗い流されていくのを感じた。今思えば、ショック療法だったと思う。

 

綺麗なのに、綺麗なだけじゃないシカオちゃんの曲は、ずっと色あせることなく、心にとどまりつづけていた。そんなシカオちゃんアイスショーで生歌を披露する。羽生結弦をはじめとした素晴らしいスケーターたちが集結する、あのFantasy on Iceに!

 

今回は、私を闇から救ってくれたアーティストの一人、スガシカオさんの楽曲で滑ったスケーターたちを中心に、Fantasy on Iceの模様を綴っていきたい。

 

まずは冒頭、アイスショーの始まりを飾るにふさわしい、軽快でさわやかなナンバー「午後のパレード」より、全体のグループ演技。

MVの動きと、スケーターたちの動きがシンクロして、曲の世界が更に氷上でクリアーになっていく。熱量はヒートアップ。羽生くんMVの振付を完コピ。キレとしなやかさで魅せていた。カメラワークがもう少し全体をとらえていたら、全体のテーマがより明確に見えてきたのだろうな、と思いながら、みんながすごく楽しそうに観客とコネクトしているのをみると、「ショーが始まるんだな…」としみじみした気持ちになった。

「きっと明日は君の街へ パレードがほら やってくる」これから、何公演も様々な街へアイスショーが開催される。スケーターの想いとアーティストの想いが完全に一つになっていた。

最初にシカオちゃんのナンバーで演技を行ったのは、この間引退を発表したばかりの田中刑事選手で、曲は「Progress」

どこか、夢の途中で挫折を経験したことのある人なら、誰もが共感する切なさがあるナンバー。刑事くんは、ジャンプを次々に軽々ときめていった。アマチュア時代、難しいジャンプを飛ばなければいけない難しさと戦ってきた刑事くんの姿が思い出された。今は、そういったプレッシャーから解放されたすがすがしさと軽やかさがそこに感じられた。甘く切ないシカオちゃんのボーカルと動きがよく合っていた。「世界中にあふれているため息と 君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ “あと一歩だけ前に進もう”」この部分、非常に伸びやかさを見せていた刑事くん。向かい風の中、意を決して進んでいこうとする刑事くんが見えた。

 

続いてのシカオちゃんのナンバーは、織田信成さんで「黄金の月」。「どんな人よりもうまく

自分のことを偽れる 力をもってしまった」の辺りで陰りのある演じ方を見せていた。いつも明るくふるまっている信成くんと、この曲のギャップについて、思わず考えさせられた。長年、活躍の場を広げ続けている信成くん。心の葛藤を胸に秘めていることがあるのだろうか。指先まで神経を行き届かせた所作と、こちらも安定感のあるジャンプ。独特の濁りのある歌詞の中で、綺麗なムーヴメントが随所に印象に残った。まるで、これから、もう一花咲かせようとしているみたいに。

 

後半の演技で魅せてくれたのはアメリカのジョニー・ウィアーさん。演目は、誰もがおなじみの「夜空ノムコウ」。この曲の中で、ジョニーはダブルアクセルを2回、シャープに決めた。昔から、ジョニーはアクセルジャンプが綺麗な選手だった。勢いを感じる正確なアクセルの踏切りの時に、選手時代のジョニーが思い出されてきた。シカオちゃんのツイートからの情報だが、ジョニーは歌詞を翻訳して、「この解釈でいいの?」と何度も確認をしていたという。ジャンプだけではなく、様々な要素を丁寧に行っているジョニーを見たとき、彼は、この曲を自分の人生に重ね合わせて、とても気に入ったのではないだろうか。

「あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ… 全てが思うほどうまくはいかないみたいだ」過ぎ去った思い出に感傷的に浸るような表現を見せるジョニー。今のジョニーにしか出せない味わいを感じた。「夜空の向こうには もう明日が待っている」のフレーズで、情感あふれる目線で上を見上げるジョニーは綺麗だった。

 

最後はお待ちかね 羽生結弦選手。曲目は「Real Face」KAT-TUNのヒット曲としても知られているこの曲を聞いた瞬間、「そう来たか!」と思った。

シカオちゃんは、サラリーマンからミュージシャンに転職した過去がある。一時期売れずに、食べるものに困った時は、胃薬をご飯にかけたりして食べたこともあると、テレビで語っていた。レーベルを変更して、インディーズからまたメジャー契約と、ここまで順風満帆な道のりではなかったと思う。この曲のフレーズ「ギリギリでいつも生きていたい」は自身の人生経験から生まれた言葉だったと思う。そんなシカオちゃんの独特なフレーズと羽生くんが出会ったとき、それはそのまま、フィギュアスケーター羽生くんの人生と共鳴したのに違いない。

ハイライトは「雨上がり濡れた堤防で はじめて君についたウソは いまも乾いちゃいない」の部分。ここで、羽生くんは用意していた紙コップの水をかぶる。一瞬ハッとして心をつかまれる動作だ。しかし、そのシーンは歌詞の世界を表すのには、とても自然で無理がなかった。昔からそうなのだ。彼の挑むことには明確な理由がある。

年齢を重ねて、大人の魅力が増してきた彼のオリジナリティのある無意識な色気の出し方は観客の心を鷲掴みにするのには十分すぎた。

全体的にロックで激しいナンバーをキレのある動きと滑らかなスケーティングで、しなやかに魅せていく羽生くん。待てよ、曲名は「Real Face」。途中までフードをかぶっての演技だった。あれ?これは前作「マスカレイド」から続いている? 仮面を脱ぎ捨てて、素顔を取り戻すってことか。一旦は、そう思った。だが、後のインタビューで羽生くんは、「リアルを取り戻す」ということを「4アクセルジャンプを取り戻す。飛べるようになるという思いを込めた」と語っている。いわば、このアイスショーのナンバーは、「新生・羽生結弦の決意表明」という重厚なテーマがこめられているのだ。

シカオちゃんのリアルに傷口をぬぐうような複雑な世界観を、羽生くんは熱い想いと抜群のリズム感やクリアーなジャンプで、表現しつくしていた。その高いエンターテイメント性は、私の心にしっかりと刻まれた。熱いものが体の中に走り抜けていくようなショーだった。

 

シカオちゃんは歌詞の中に綺麗なだけじゃない複雑な感情が垣間見えるアーティストさんだ。そういうシカオちゃんの世界観をフィギュアスケーターたちが、自分なりに解釈し、自分のカラーに染め上げていく。このアイスショーの中でしか見られない、スガシカオとスケーターたちの魂の化学反応に強く心を揺さぶられた。

幕張公演はひと段落して、アイスショーはまた別の街にパレードを運んでいく。

よその街でも、更に世界はブラッシュアップされて私たちの心に火をつけるだろう。