一瞬の間の永遠 John Coughlinのこと
2010年にそのペアスケーターが滑ったフリープログラム。アヴェマリアを私は、永遠に忘れることはないだろう。もう、どこにもいない、彼の名プログラム。
彼の名はジョン・コフリン。アメリカのコロラドスプリングスで活躍していたペアスケーターです。彼を偶然、認識したのは、当時、応援していたアメリカのスケーターたちが、彼の名前をよく話題にしていたからでした。
後輩の面倒見がよく、優しくて、みんなから好かれていたジョンは、ツイッターでは、割と現実主義者でした。「僕は誰も愛さない。だから、誰も僕を愛さない」
「長生きしたいと思わない」そんなことを頻繁につぶやく彼。
あまり、人生について、冷めたツイートをする彼に興味を覚えるのに、大して時間はかかりませんでした。私も当時、人生に対して、冷めた気持ちをもっていたからかもしれません。
そんな彼の伝説的なプログラムは2つあります。
一つは、冒頭で述べた、2010-2011シーズンの「アヴェ・マリア」。実は、当時、ジョンはお母さまを亡くされていて、このプログラムは、母に捧げるために作られた、と当時語っていました。
このプログラムは、ジャンプもスピンも、ステップも、一切、無駄な力が入っているようには、感じられないほど、彼らの体に馴染んでいるようでした。リフトで、白いコスチュームを着て、高く上げられる当時のパートナー、ケイトリン・ヤンコフスカは、まるで、空中を飛ぶ天使のようで、視線の先、指先に、失った人への思いを宿しているかのような滑りに、ただ、うっとりと、こみ上げてくるものを抑えられずにいました。
もう一つ、忘れることができないプログラムは、新しくパートナーを組んだ、ケイディ・デニーと、2011-2012シーズンの国別対抗戦で披露してくれたフリープログラム、「誰も寝てはならぬ」です。実は、当時、私、現地でこのプログラムを鑑賞していました。
まだ、試合が始まる前から、バックヤードらしきところで、リフトの練習をしているジョンと、ケイディが、客席から見えたとき、二人はとても嬉しそうで、日本で演技ができることを喜んでいるように見えました。
演技が始まって、二人の動きから、喜びが紡ぎだされていくのが、空気を通して伝わってきました。この二人のリフトやスローイングは、ロシアや中国のペアのような難易度はありませんでした。しかし、プログラムを通して、オーソドックスな動きの組み合わせから、二人にしか表現できないドラマが伝わってきて、どのリフトも、女性のことを美しく魅せることのできるジョンの優しさを、とても好ましく思いました。終わった瞬間、会場はスタンディングオーベーション。みんなが二人の演技を気に入ったんだということは、歓声からも感じることが出来ました。
ジョンは、現役を引退した後は、全米のコメンテーターを引き受けたり、連盟の仕事を担当していることが多く、スケート界のために地道に頑張る彼を、陰ながら応援していました。
悲報は、急に飛び込んできました。ジョンが33歳の若さで命を絶ってしまったこと。最初、とても信じられませんでした。
彼の死の直後に、彼が訴えられていたこと。そのことで調査中の間に死を選んでしまったことを知りました。
正直、今でも、受け止めることはできていません。彼が償うべきだった罪。どれだけ時間がかかっても明らかになることのない真相。彼を非難する声があることも、仕方のないことだと思っています。
けれど、もう、ジョンがこの世に存在していないこと。彼のスケートを見ることはもうできないのだという事実は、私を悲しくさせました。
ジョン、あなたと人生で触れ合えたのは、あの国別対抗戦の一瞬だったね。あの一瞬は、私の人生に特別な時間をもたらしてくれたよ。そのことだけは、私にとっての真実。
もう、Youtubeで見つからないかもしれないけど、ジョンは、歌がとても上手くて、ある歌手の歌をカバーしてアップしていたことがあります。彼のお気に入りの曲は、Timbaland gが歌う。「Apologize」。この曲を聞くたびに、「ジョンが存在していた」と感じて、罪深さと同時に、様々な瞬間を思い出します。
私のSpotifyのプレイリスト「Love history」に追加したことを決して後悔はしていません。
※一応、Twitterでもプレイリストを固定ツイにて紹介しています
ya-koさん (@colorfulwoman87) / Twitter