ヴィンセントが「Vincent」を滑るまで

 

 

私がその男の子の演技にハッとさせられたのは、2015-2016シーズンのフィギュア全米選手権大会。演目は「ゴッドファーザー」だった。滑っていたのは、若干15歳のヴィンセント・ジョウ。「なんで、この年齢で、ゴッド・ファーザー(マフィアの抗争の映画)なの?この子、すっごい背伸びしてない?」軽い驚きと共に見ていると、少年は、次々に高難度のジャンプを決め、エネルギーを体から放出し始めた。まだ、若く、粗削りなのに、妙に印象に残る演技をしたヴィンセントは、コロラドを拠点に活躍するジュニア上がりの中国系アメリカ人スケーター。演技が終わった後、キスアンドクライに座るコーチを見て、二度びっくり。「Drew,コーチなの???? この子は一体。。。」Drew meekinsは以前、ブログで紹介した、お気に入りの元ペアスケーターだ。「これからが楽しみな子が現れました!」解説の杉爺こと杉田秀男さんのコメントがぼんやりと遠くから聞こえる。これが、ヴィンセントの演技に触れた最初の驚きだった。

 

調べていくと、ヴィンセントは、ジュニア時代から、ネイサン・チェンと並ぶ実力者として知名度が高かったのだが、靭帯のケガに悩まされ、2013-2014シーズン全休。2014-2015シーズンも休養を取りながら、トレーニングに励んでいたことが分かった。

ヴィンセントは、学校には行かず、オンラインクラスで勉強し、飛び級するほど頭脳明晰。

「なんだか、この子、若いのに苦労してきているんだな…」そう感じた私は、次のシーズンもヴィンセントの演技をジュニアグランプリシリーズから注目するようになっていた。

2015-2016シーズンに滑ったのは、スパイ映画「007」と「カサブランカ」。いちいち、チョイスが渋めなのだが、彼の軽やかなジャンプと、のびやかなイーグルのせいなのだろうか、なぜか、ミスマッチな感じがしない…いや、むしろ、かっこいい。そんなこんなで、久しぶりに若いスケーターに沼落ちし、ヴィンセントのインスタを頻繁にチェックするようになる。演技に成功すると、割と長文で理論的なコメント。演技に失敗すると「ほろ苦い瞬間は永遠じゃないよ」などと、詩的なコメント。年齢の割にインスタもやっぱり背伸びしているヴィンセント。「さては、彼は、中二病か?」はなはだ失礼な疑惑を持ちながらも、大人と子供が同居しているヴィンセントの活躍を微笑ましく、見守っていた。

そして、その年のジュニアワールドで、なんと、彼は優勝してしまうのだった。そんな、彼の活躍は、あのレジェンダリースケーター、羽生結弦選手もこれからが楽しみな選手として、名前を挙げるほど。オリンピックを前に一気にヴィンセントは上り調子になっていく。

平昌オリンピックのシーズンのプログラムは、「Chasing cars」と「ムーランルージュ」。どこまで行っても、彼は、実年齢よりどこか背伸びしたプログラムを選びがち。ふと、インスタを見れば、ポエムインスタを開設し、時々、理解不能なポエムを披露して、少々、ファンを混乱させたのも、ちょうどこのころ。現実の試合では、4回転をズバズバ決めていく体育会系スケーターなのだが、インスタでは、物語の登場人物になって楽しんでいるかのような幼さのあるヴィンスは、やっぱり、大人と子供が同居していた。

そんなヴィンスが、少しずつ変わっていったのは、2018年頃からだったような気がする。たまたま、韓国で行われた「Ice Fantasia」というアイスショーで、ショーを行う彼に、中国のボーヤン・ジン選手が何やら中国語で話しかけている姿が、ある映像で流れた。たどたどしくも、中国語でボーヤンと打ち解けた様子で話すヴィンセントから、あの、試合で見せる、背伸びした姿が少しずつ、薄くなっていくのを感じた。

後に、ヴィンセントは、自分のことを、「人に心を開くのがそれまで苦手だった。」と話している。それは、私の想像だけど、幼いころ、学校に行かず、オンラインで授業を受けていて、同年代のお友達とお話しする機会が少なかったことが、関係していたのかな?と感じられたりした。ボーヤンと仲良くなったあたりから、ヴィンセントは、同年代のお友達と気楽に談笑したりする姿が増えていく。インスタに後の親友、カムデン・プルキネンや、樋渡知樹の姿が度々登場するようになり、彼は急に明るくなっていった。

コーチがよく変わるヴィンセントが日本のコーチ浜田美栄コーチに指導をお願いするようになったのは、2018-2019シーズンのこと。このころのプログラムは、「エクソジェネシス」と「グリーンディステニー」。正統派のプログラムと自身のルーツにつながる中国の映画音楽を選んできた彼。「ずいぶん、等身大のプログラムになってきたぞ」。演目から、素直にプログラムにアプローチするヴィンセントを感じた。「これは、期待できる」と思ったそのシーズン。彼は世界選手権で銅メダルに輝く。そのことは驚かなかった。ヴィンセントの動きから、力みが消えて、迷いが消えて、ヴィンセントのいいところが随所に見える演技だったから。キスアンドクライで、無邪気にほほえみ、コーチをたたえる姿から、ヴィンセントが大人になりつつあるのを感じていた。

2020-2021シーズン、ヴィンセントが滑ったショートプログラム。Josh Grobanが歌う。Vincent(Starry Starry night)このプログラムは、ヴィンセントのこれまでの演技の中で、一番好きな作品だ。繊細で、ロマンティックで、野心的で、本当にヴィンセントらしいプログラムだと思う。

youtu.be

 

Now I understand.

What you tried to say to me.

And how you suffered for your sanity.

And how you tried to set them free.

They would not listen.

They did not know how.

Perhaps they’ll listen now.

このフレーズがとても好きで、成長したヴィンセントを思わせる、美しいパートだと思う。世界選手権、残念ながら、フリーには進めなかったけど、来期も絶対この曲で滑ってほしいと思っている。すっかり、大人になった、素晴らしい、スケーター、ヴィンセント・ジョウがまた輝きを増したストーリーを見せてくれることを期待している。