アイスダンスの伝道師 テッサ・ヴァーチュ スコット・モイアーのこと

 

 

氷上の社交ダンスと言われる、フィギュアスケートアイスダンス。今一つシングル競技に比べて、世間で認知度の低いこの競技において、忘れられないカップルがいる。その中の一組が、カナダのカップル、テッサ・ヴァーチュ スコット・モイアー組だ。

この二人の存在を知ったのは、2007-2008シーズンのこと。私の住む町で行われたNHK杯で、フリープログラムで「シェルブールの雨傘」を現地で見た。

一言でいうと、「これぞ、アイスダンス」という演技だった。息の合ったツイズルも滑らかなスケーティングも、まるで一つ一つが簡単そうに行われていた。お互いの体にまるで磁石がついているかのように、組み合ったり、離れたり、少しの力みも感じず、とても自然に見える。一歩間違えば、大事故につながりかねない難しいリフトを直前までステップを入れながら、自然に取り入れる。難しいリフトで持ち上げられているテッサは、どこの角度で写真を撮られても、ミューズと言って過言ではないほどに美しかった。

シェルブールの雨傘と言えば、誰もが知っている悲恋の物語。途中、「モナムール」「ジュデーム」とお互いを呼びあうボーカルが入った時、複雑なステップやリフトを交互に織り交ぜながら、とてつもない疾走感で走り抜けていく二人が、本当に物語の主人公と重なって、自然に涙が込み上げてしまった。

終わった後は、観客総立ちのスタンディングオベーション。知らない隣の観客とも「素敵だったわねー!」と言い合うくらい。この時の演技は私の中で伝説となった。

彼らは、2009-2010シーズンのオリンピックで金メダルを獲得。その勢いはとどまることを知らないように思えた。

次のソチオリンピックまで、彼らはプログラム一つ一つ、試行錯誤していったように思う。どちらかというと、清楚で可憐なプログラムを得意としていた彼ら。だが、時間は容赦なく訪れる。少年から青年へ、少女から大人の女性へ。刻々と変わっていく変化の中で、彼らもまた、「カルメン」などの大人の世界を思わせるプログラムに、果敢にチャレンジしていくようになった。最初の内は、アプローチに戸惑いを感じる瞬間も垣間見られた。だが、彼らの努力によって、見事に煽情的なプログラムも演じられる力を我々に見せてくれていた。

しかし、ソチ・オリンピックで、彼らは銀メダルに終わった。なぜかって? 長年のスケートファンにはわかると思うが「メリルたちがいたから」としか言いようがない。

ここで、メリルが何者なのか補足説明させて頂こう。メリル・デービスチャーリー・ホワイト組はアメリカのアイスダンスカップルで、テッサたちの長年のライバルだった。二組は、ほぼ同世代。コーチも同門ということで、長年、この二組の対決でアイスダンス業界を牽引してきた。メリルたちの持ち味はテッサたちのそれとは真逆の物だった。テッサたちが優雅なカップルとして例えられるなら、メリルたちはいわば、スポーティーカップル。ドリルのようなえぐいツイズルと、あっと言わせるハイレベルなリフト。少々荒っぽくも思えるのだが、決まると見ごたえのある技術で、スリリングな貫録を見るものに与えるカップルだったのだ。一部であまりの貫録にメリル・デービスのことを「メリル様」とたたえるスケオタもいるくらいだ。

2014年2月のソチ・オリンピック、テッサたちは、スピードの中をエレガントに泳ぐような見事な演技を披露した、そう決して悪くなかったのだ。しかし、運命の女神はメリルにほほ笑んだ。メリルたちのフリーダンス「シェヘラザード」。このプログラムが良すぎた。エネルギッシュで次から次へと展開を見せるリフトやステップ。全ての流れが彼女たちに味方していたといってもいいほど。そのくらい、メリルたちは「完璧」だった。

と、本来はここで終了しそうなものだが、ここから、新たなテッサたちの物語が始まった。彼らは、引退をせずに、4年後の平昌オリンピックまで、現役を貫いた。その間に技術を一年一年、磨き続けた。大人の体形になった彼らは、更にトレーニングを積んだのであろう。しなやかな筋力を身に着け、エレガントなだけではなく、力強さを演技の中で発揮するようになっていった。

迎えた2018年2月のオリンピック。メリルたちは、このオリンピックには、出場しなかった。2位のガブリエラ・パパダキス ギョーム・シズロンもかなり脅威だったはずだが、テッサたちに焦りの色は見えなかった。4年間、お互いを信じ続け、切磋琢磨し続けた視線の先には、みなぎる自信と、お互いへの信頼感が透けて見えた。

フリーダンスの「ムーラン・ルージュ」。完璧の更に上をいく完璧さをみせた。全力で回転しながらスコットに飛びつくテッサ、それを自然に受け止めるスコット。これ以上にない信頼関係は、大人になってから育まれた「真の愛の物語」に映った。演技が終わった後、お互いの結果を確信した二人の姿がそこにはあった。そう、二人は「勝った」のだ。オリンピックの舞台に。見えないライバルたちに。そして、辛い思いを経験し、共有し、日夜励んだお互いの時間に。

テッサたちの何年越しか分からないチャレンジを見ていると、人間、諦めない気持ちが大切なのだな、ということを教えられたような気がする。

天才肌のカップルが、挫折を経験し、努力によって、揺らがない真の栄光を手に入れた。正に彼らはアイスダンスの伝道師だ。現役を引退した後も、私の中で、その地位は色あせることなく、今も、息づいている。