朝から蒸し野菜

 

 

あるドラッグクイーンのライブ配信を見ていた。

多分、友達に進められたYoutuberだったと思う。

彼女は、聡明で、独自の人生哲学を持ち、時々下品なジョークがウィットに富んでいる魅力的な人だった。

そんな彼女が、ライブ配信中に、自らが作った蒸し野菜をほおばりながら、こう言ったのだ。

「毎日、忙しいけど、忙しい時こそ、野菜を摂らなきゃって、思っているの。だってさ、誰も助けてくれないじゃない?」

普段、明るく、ユーモアたっぷりにふるまっている彼女の、張り詰めた部分を垣間見た気がした。そしてそれは、そのまま、私が持っている張り詰めたものに通じる気がして、一瞬、ハッとさせられた。

 

父を亡くして、早3か月。この間、納骨も無事に済ませることができた。東京から戻って数日後、母の体調が悪化した。

検査を何日も行い、緊張と疲労が一日中、私たちの間に漂った。苦しそうな母にしてあげられることはあまりなく、気持ちはどんどん固くなるばかり。普段は私を元気にしてくれるスポーツも、音楽も、なかなか、しみ込んでこなかった。

 

一日に何度か、食事作りのために台所に立つ。その時だけは、ふいに心をリセットすることができた。ただ、肉や野菜を切り刻む。鍋に放り込んでいく。そうやって、何もない所から、何らかの料理が出来上がっていく。そのことは、自分にとって、生産的な時間であると共に、余分な雑念を振り払うことが出来る瞬間だったのだ。

卵を泡立てている間に心は撹拌されていき、お味噌を溶いている間に感情が溶けていく。そうやって、出来上がった料理を母が美味しいと言ってくれることが、自分を労ってくれていたように思う。

 

あの時のドラッグクイーンも、人生で迷ったり、家族とのことで、悩んだり、いろいろと抱えていたのだろうか。それでも、歯を食いしばって、自分のために手間をかけた食事を心がける彼女を見て、自分も見習いたいと思った翌日、私は朝から、蒸し野菜を作っていた。

 

しばらくは、蒸し野菜をほおばりながら、自分で自分と家族を労う日々を過ごしていくだろう。慰めと、優しさと、感謝の味が混ざった、蒸し野菜が、今日も誰かの食卓を救っていく。