最初と最後にくれた贈り物

父から最初の贈り物をもらったのは、多分私が、母のお腹の中にいたときだと思う。

そのころ、父の事業の失敗があり、家計は相当厳しい状態の中にあったらしい。

私がお腹にいることを母が、父に報告すると、父は、「そうか、良かったな」と答えたと、大きくなってから、母に教えてもらった。

 

私がこの世界につながることを、祝福の言葉で迎えてくれたのは、まぎれもなく、父だった。わがままで、浪費家で、すぐに怒りだしてしまう父に、何度も困った時に、

「最初にもらった祝福の言葉」を思い出すと、「まあ、いいか」と気持ちを納得させることが出来た。

 

旅行が好きで、食いしん坊な父は、海水浴に行っても、京都や奈良に歴史散策に行っても、家族の中で、一番楽しそうに笑っていた。奈良の仏像を拝んだ時、「すごいな!見てみろ!」と、宝探しの途中で宝物を見つけたようにはしゃぐ姿は、今でも、心の中に焼き付いている。

 

お寿司に、焼き肉に、パスタ、旅行中、土地勘のない場所を歩きながら、「ここに入ってみようか」と言って、父がフラッと入っていくお店は、いつも雰囲気が良く、美味しいお店ばかりだった。「食いしん坊だから、お店探しがうまいんだね」母とそう言って、笑った。

 

長いこと、肺気腫を患っていた父は、年々、苦しそうにすることが多くなった。あまり、遠出することが出来なくなって、家にいる間中、食いしん坊な父は、「今日の昼ご飯は何?」と子供のような顔で私に聴いてきた。若い頃に美味しいものを食べるのが趣味だった父。その父が「美味しかった」と言ってもらうために、昼ご飯担当で台所に立つ私は、いつもレパートリーに悩んでいた。

そんな時、ふとしたきっかけで、チヂミを焼いてみたら、すごく喜んで、「美味しいな、もう一枚ないの?」と、無邪気に喜んでいた父。その時から、チヂミは、我が家の昼の定番メニューになった。

 

闘病生活の末、最後に入院した病院で、苦しそうな表情を、ふっと和らげるように、父は言った。「お医者さんが、『明日、奥さんに大好物の料理を、一品、持ってきてもらっていいよ』って、言ってくれた。それで、何にしようとおもったけど、ya-koが焼いたチヂミを持ってきてくれないか、ほんのちょっとでいいんだ」

 

最後になるかもしれない食事、父が望んだのは、お寿司でも、焼き肉でもなくて、私の焼いた、簡単なチヂミだった。「わかった、明日もってくるね。」と言う私に、父は

「ya-ko、ありがとう。大好きだよ」と、言ってくれた。

 

あんなに食べたがってたチヂミなのに、父がそのチヂミを食べることはなかった。その夜。容体が急変し、病院に駆けつけたが、父は、眠るように息を引き取った。

最期の言葉を言うために、父は、最後の力をふりしぼってくれたのだと思う。

 

3人姉妹の中で、自分が一番、父と長く一緒にいた。その間、衝突やわずらわしさを感じたことも何度もある。それでも、一番長く生活を共にしたからこそ、最後に贈り物をもらったような気がしている。

「大好きだよ」と、父が言ってくれた時、私は、それまで、感じていた、不安や恐れがすっと消えていくのを感じた。これから、生きていく中で、私は、父の最期の言葉を思い出し、生きる力にしていくことになるだろう。

 

部屋の隅に置かれた、献花台。そっとチヂミを焼いてお供えした。ほんの少しの後悔。それでも最後まで、充実した人生を生きて、立派に去っていた父のことを、チヂミを焼くたびに、私は思い出すだろう。