舞依ちゃんと花織ちゃん

 

本来だったら、フィギュアスケート四大陸選手権大会が行われるシーズン。今年は、コロナで中止となってしまいましたね。安全面を考えたら、仕方のないことですが、スケートファンにとって、試合のないシーズンは、気持ちが沈んでしまいがちです。

 

今回は、私が好きな二人の女子フィギュアスケーターについて、ブログを書きたいと思います。

ご紹介する選手は、三原舞依選手と、坂本花織選手。

二人は、兵庫県神戸市出身。同じ所属先シスメックスで、切磋琢磨する注目の女子選手です。

演技の質も、性格も違う二人ですが、姉妹のように仲良しで、よく、二人、インタビューではしゃぎあっている姿を目にしていました。

 

三原舞依選手は、一万人に一人といわれる難病により、一時ブランクがありましたが、2016年から練習を再開し、シニアデビューシーズンのグランプリシリーズ スケートアメリカで3位に輝きました。彼女の演技を初めて見た私は、「この子、病気の後なのに、とても楽しそうに滑っているな…」そう感じたのを覚えています。スピードのあるステップに乗って、笑顔で、しなやかな動きを魅せる彼女のスケートは、いつも滑る喜びに満ち溢れ、見ていてこちらまで、うれしい気持ちにさせてくれました。

私が、舞依ちゃんのプログラムで一番好きなプログラムは、2017-2018シーズンと、2018-2019シーズンのフリープログラム、「ミッション」です。

平和を願う天使をイメージし、青いコスチュームで滑ったこのプログラム。流れを最後まで途切れさせない、疾走感のあるスケートの中で、彼女は柔らかく、そして、時に力強く、天使を演じ切りました。舞依ちゃんが滑る先に、光が照らされていくようで、思わずほろりとさせられました。

 坂本花織ちゃんは、舞依ちゃんとは、対照的にいつもエネルギーに満ち溢れている元気娘。

2017-2018シーズンに全日本選手権2位となり、平昌オリンピック代表に選ばれて、日本のエースの仲間入りを果たしました。彼女の武器は、ジャンプの大きさと、流れのある着氷。高く、幅のある回転で降りてきて、片足の着氷姿勢も美しく、降りた後、スケートの流れを失わない。そのジャンプは、氷の上で、花が咲いているみたいです。

花織ちゃんのプログラムでお気に入りは、意欲作となった、2018―2019シーズンの「ピアノ・レッスン」です。

 

最初にこのプログラムで滑る、と聞いたときは、正直、戸惑いがありました。映画の内容も知っていたのですが、この話は、大人の複雑な愛の物語。まだ10代の彼女が滑るのには、少し、難しいテーマなのでは、と思った私の思惑は、演技を見た後、杞憂だったと分かりました。

素直で、のびやかな体の動かし方、深いエッジワーク、音のタイミングにピタッとはまる難しいジャンプ。健康的なテクニックが、重厚で繊細な音楽と溶け合って、花織ちゃんのピアノ・レッスンは、新鮮な感動を私にもたらしてくれました。「このプログラムの愛の解釈は新しい」そう思わせてくれる作品でした。

 

2019―2020年のシーズン、舞依ちゃんは、体調不良のため、シーズンの欠場を余儀なくされました。その間、花織ちゃんは、試合のたびに、「舞依ちゃんの分も頑張りたい」と、言葉にしていました。試合に出られない舞依ちゃんの思い、誰よりも強く感じていたであろう花織ちゃん。一人で、二人分の思いを背負って、リンクに出ていく花織ちゃんの姿は、舞依ちゃんにも、力になっていたのではないかな、と思います。

 

そして、今シーズン、舞依ちゃんは、リンクに戻ってきてくれました。

かなり瘦せてしまった舞依ちゃん。闘病、大変だっただろうな、と痛々しく感じた私は、演技を見た後、涙をこらえることができませんでした。

舞依ちゃんの滑る喜びに満ち溢れたスケートは、最初に舞依ちゃんを見たときと、変わることなく、楽しそうに滑る姿は健在だったのです。

舞依ちゃんは、本番で、どのジャンプも失敗しない安定感がありました。「絶対に失敗しない」そういう強い意志を感じるその姿は、正にアスリートそのもの。

プログラムを通して、魔法をかけたり、天使になったり、妖精に姿を変える、優雅な舞依ちゃんに、今シーズンから、更にスポーティーなアスリートの要素も、加わったような気がします。

 

一方、花織ちゃんのショートプログラムは、複雑なリズムを遊ぶように、小粋に、演じ、フリープログラムでは、切れのある、かっこいい女性を演じ、表現のふり幅を感じさせてくれました。

花織ちゃんは。最初のころは、ジャンプの見事さと、豪快なスケーティングが持ち味のように感じていましたが、フランスの振付家、ブノワ・リショーさんが振付を担当するようになってから、振付一つ一つの意味を彼女なりに解釈して、音の中で、表現を自分のものにしていきました。いつの間にか、アーティストの領域にも到達し、技術と表現を一体化させている本物のスケーターに変貌していたのです。

二人とも、ますます、目が離せなくなりました。

対照的なキャラクターでありながら、とても、仲良しの二人。それぞれ違ったアプローチでスケートを極めようと努力している二人をこれからも、応援していきたいとおもっています。

#フィギュアスケート #坂本花織 #三原舞依

羽生くんと震災と私たち

 

 

こんにちは。年が明けて、あわただしく過ごしているうちに、もう、2月も半ばを過ぎましたね。毎年、この時期になると、「ある出来事」を思い出す日が近づいているのを感じます。

数日前、大きな地震があり、一足早く、その「出来事」がフラッシュバックして、取り乱してしまいました。

今回は、東日本大震災のことと、その時期に私を元気づけてくれた、あるフィギュアスケーターのことを、ブログに残したいと思います。

 

2007年の冬、私の住む町で、フィギュアスケートNHK杯が行われた時のことです。中学生のころから、フィギュアスケートが大好きだった私は、迷うことなく、その大会を見に行き、素晴らしい演技の数々を堪能していました。

大会のエキジビションオープニングの時、地元のスケートクラブに所属する子供たちが、フラッグを携えて、グループ演技を行いました。

その中に一人だけ、やけにスケートがうまい男の子が…!

「あれ?あの子だれだろう?スピードも体の動きも、他の子たちと明らかに違う…」

そう思って、その男の子を目で追っていたら、後ろの席から「ユズルくーん!」という声。

そう、そのフラッグボーイは後に二度のオリンピック金メダリストになる、羽生結弦選手だったのです。

「ユズルくんっていうのか、この子はすごいな。いつか、世界で活躍する選手になるぞ」

期待に胸が高鳴り、なんとなく、すごい選手をみつけて得しちゃったような気がしたNHK杯からすぐの、全日本ジュニア選手権で、彼はいきなり3位に入り、めきめき、頭角を現すようになりました。

 毎年、羽生くんの演技を見続けるのが楽しみで、彼の真の強さを感じさせるコメントと共に、羽生くんは、フィギュアスケート界でますます、輝き始めます。

 

そんな時に、あの東日本大震災

これを書くと、大体、どこに住んでいるか、察しが付くと思いますが、私の住む県も、津波被害で、言葉を失う、惨状が繰り広げられました。

私は仕事先で、被災。大きなざるの中で振るわれる小麦粉の粉になったような、長く、恐ろしい揺れの中、「嘘でしょう?嘘でしょう?」そのことしか頭になく、やっとの思いで、外に出ると、向かいのガラス張りの窓に見る見るうちに亀裂が入り、職員たちが、ガムテープで補強しているのが見えました。

 「沿岸部で津波があったみたいだ…」遠くで、誰かがつぶやく声。何が起きているのかわからないけど、「町が死んだようだ」と感じたのを覚えています。

それから、しばらく、「ひたすら耐える」日々が続きました。何に耐えるのか。ガスも、水道も、電気も止まってしまった町で、いつも通り、仕事にでかけなければいけない日々。

仕事が終わって帰る時、明かりが灯らない真っ暗な街、いつまで、続くかわからない被災の日々。でも、私たちは、「辛い」なんて、言うことができなかった。津波で、家族を亡くした人々、家が壊された人々、放射能で、住み慣れた街を離れなければいけなかった人々。自分たちはそういう人たちに比べて、辛いなんて言っちゃいけないんだ。そう思った私たちは、明かりが灯らぬ夕方を、黙って臨時のバスに乗って、黙って、帰る日々を繰り返しました。

 

羽生くんは高校一年生の時に、地元のアイスリンクで被災。避難所で過ごしたこともあり、当初、練習環境が壊れたことで、思うように練習できず、リンクを借りるためにあちこちを転々としていたと聞きます。羽生くんは、震災当日空を見上げ、真っ暗な闇の中、たくさんの星が瞬いていたことが、強く印象に残っていたと言います。

確かに、震災のあの時、星はきれいに輝いていました。地下鉄がとまり、歩いて家に帰る途中見た空。刻一刻と、沿岸部の遺体の数が増えていくラジオを聴きながら、窓から見上げた、夜空。不安で悲しい地上を、月も、星も、美しく、照らし続けていました。

羽生くんは、その時期、テレビのインタビューでよく、「被災地の方々のために」と、強いまなざしで言ってくれていました。彼自身も、不安で大変だっただろうに、彼はいつも、被災地の人々のことを考えてくれていたのです。そのことには、ただただ感謝しかありません。そんな日々の中、2012年3月の世界選手権、羽生くんは、3位に輝きます。

 

フリーの演技「ロミオとジュリエット」は言葉になりません。精一杯、緊張感の中挑み続ける羽生くん。その姿を見ていて「こんなに若い子が、こんなに、頑張っている。自分がめげてどうする…!」感覚がなくなりそうな日々だった私。羽生くんは、演技で背中を押してくれました。

 

羽生くんが、平昌オリンピックで、二連覇を決めたとき、エキジヴィションで「ノッテステラータ」を演じました。震災のころ、飛び立つ鳥をイメージし、「白鳥の湖」(ホワイトレジェンド)で臨んだ羽生くん。エンディングで、さらに高みを目指す鳥を表現していたけど、同じ白鳥をテーマにしたこのプログラムは、みんなを優しく包み込むようで、暗い心に明かりが灯るようで、あの時の悲しみを浄化させてくれるような、そんな演技でした。

 

 

さらに時がたち、羽生くんが、わが町で行われた「Fantasy on Ice」に出演することが決まった時、私と母は、「どうする…?」と顔を見合わせました。もちろん、羽生くんの演技を見たい、そう思いながら、開催場所を聞いて、少し、躊躇いが生まれたのです。開催場所は利府町のグランディ21。その場所は、震災当時、遺体安置所となっていた場所でした。

少し考えた後、「行こう! 羽生くんの演技をみよう!」そう決断したのは、今から考えると、震災当時、ゆっくりと、地元での弔いの時間が持てなかった私たちにとって、手を合わせつつ、祈りを捧げつつ、羽生くんの演技に歓声を贈りたかったから。そのことを、私たちなりの追悼にしよう、と決意しました。

その時の演技が、伝説の「マスカレイド」です。

演技冒頭、羽生くんから、みなぎる闘志を感じました。「羽生くんも緊張している」そう思った後、彼は、エネルギーたっぷりに演じ切りました。最高の演技、でも思うのです。彼は、一人で滑っていたのではなかったかもしれないと。あの時、あの会場に眠る、魂を明るい方向へ導いてくれるために、力いっぱいの演技を披露してくれたのではないかって。会場は、拍手喝さいとすすり泣きが混ざって、大盛況。「私、この会場にいて、良かった。羽生くん、羽生くんの思い、“みんな”に届いたよ。私も、もう一歩踏み出せそう。」泣きながら、私は、羽生くんに「ありがとう!」って叫び続けました。

 

羽生くんは、2022年に、戦いの場をアマチュア大会から、プロの世界へと移しました。様々な試み、アイスショーで、私たちに驚きと、幸せを運び続けてくれています。

競技生活の中で、辛いこともたくさん経験してきたと思いますが、羽生くんは前を向き、誰も成し遂げなかった夢を次々に現実のものへと昇華させていっているのだと思います。そういう羽生くんを見ていると、いつも、元気づけられて、私も前を向こうという気持ちが芽生えてきます。

 

この暗い世の中、閉塞感を感じる日々に、それでも、光を信じさせてくれる。羽生くんは私たちにとってそういう存在のように思えます。その姿を応援することで、私も、心に明かりを灯し続けたい。今はそのように思っています。

Jojiアルバム Ballads1を聞いてみた。

 

前回のブログでご紹介させていただいたアーティスト、Jojiにはまって早3年。

今回は、彼を世に知らしめることとなったアルバム、「Balads1」について、ブログを書いてみたいと思います。

 

このアルバムは、ビルボードHiphop部門でアジア人初の1位を記録しました。当時、音楽のことにそれほど詳しくなく、Hiphopというジャンルの音楽のことも、私はよくわかっていませんでした。Hiphopといえば、重みのあるリズムと、韻を踏むラップ、今、巷で流行しているダンスとセットの音楽、という、漠然としたイメージのまま、彼のアルバムを聞いてみた私は、正直、Jojiの音楽の多様さに衝撃をうけました。

 

ここで、いくつか、Ballads1で私が気に入っている曲をご紹介させていただきます。

 

まずは冒頭のATTENTION。

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この曲の主人公は、自分を振り向いてくれない女性に必死に呼びかける、切ないバラード、と私は解釈しました。私が、とても好きな歌詞の一部を、少しだけ、和訳してみたいと思います。

 

I don’t wanna die so young.

Got so much to do.

I don’t smile for the camera.

Only smile for you.

Smile for you.

 

(そんなに早く死にたくはない)

(やることが沢山あるんだ)

(カメラの前じゃほほ笑まない)

(君のためにだけほほ笑むんだ)

(君のためにね)

 

この曲の中には、一つも、「I love you」という言葉は出てきません。だけど、「I love you」を言わないで、「I love you」を伝えるって、なんだかとても、日本人の感性のように私には感じられました。こんなこと、言われてみたい…

 

次に、個人的につぼにはまったのは、NO FUN。

youtu.be

友情がテーマのこの曲。友達のことを歌っているのですが、なにやら、とても複雑です。

壊れてしまった友情。成功した自分。葛藤の中で淡々と受け入れる現実。実体験?と感じさせてしまうほど、痛みのある曲ですね。Jojiのアルバムを聞く前に、動画で、彼がインターナショナル時代の友達や、Youtuber時代の友達とふざけているところを見ていた私は、「環境が変わって、Joji、友達関係に変化があったのかなあ。」と、感じたりしました。

 

And I keep to my self

Fuck with no one else.

And I know it’s my fault

But I don’t care.

And I keep to my self

Who are you to pretend?

And I know it’s my fault

It’ll never end.

 

(人と距離を置いている)

(誰一人立ち入らせない)

(それは俺のせいだって知ってる)

(だけど、構わない)

(人と距離を置いている)

(君、誰の振りをしてるの?)

(それは俺のせいだって知ってる)

(終わることなんてないんだ)

 

決して、明るい内容ではないのに、重く感じないのは、美しいメロディーとささやきかけるような甘い声、そして、「誰のせいにもしてない姿勢」に潔さを感じるからかもしれません。友情に悩み、人生に生きづらさを感じたことがあれば、共感するところの多い歌ではないかと感じます。

 

そして、アルバムの中の隠れた名曲と言えば、XNXX

youtu.be

 

繰り返しのフレーズとリズムが心地よく入ってくる曲ですが、こちらも相手とはすれ違いの状態のようですね… 実は、Ballads1で、私が一番お気に入りの曲なのです。

 

Cupid pass another my way (My way)

Another night a lot more days (More days)

Hard to think about you anymore (‘Bout you anymore)

But I keep you in my mind always (Always)

Called me on the phone last night (Last night)

Couldn’t hear your voice, I fight (I fight)

I won’t be around you anymore (Around you anymore)

In a dream where you feel alright

 

(天使は僕の別の道を通り過ぎる)(僕の道を)

(また別の夜が来て、もっとたくさんの日々が来る)(もっとたくさんの日々が)

(君のことをこれ以上考えるのは苦しいよ)(君のことをこれ以上は)

(だけど、君はいつだって、僕の心の中に居続ける)(いつだって)

(昨日の夜 電話してくれたよね)(昨日の夜)

(言い争って、君の声が聞こえなかった)(言い争って)

(僕はもう 君の周りにはいないだろう)(もう君の周りには)

(君は安心だと感じられる夢の中に)

 

終りかけている恋の中で、相手を大切に思っている。一瞬の感情の切り取り方が、切ないけど具体的で、心の中に深く入ってくるような気がします。冒頭のAttentionでも感じられるのですが、苦悩しながら、遠回しに相手を思いやる気持ちがちりばめられているところが、英語だけど、日本人的な歌詞だな、って思いました。

 

丁度、このアルバムを聞いていた時、私は、うまくいかないことがあって、(失業などいろいろ)メンタルがどん底の状態でした。音楽が、何も受け入れられない状態の中で、唯一心に触れたのが、Jojiのこのアルバムだったのです。

本当に辛い時って、前向きな言葉が、心に届かなかったりしますよね。少なくとも、私はそうでした。このアルバムは、全体的に、暗い歌詞が多いのですが、失った大事な人への思いに溢れ、喪失感の中でもがきながらも「生きようとしている」Jojiの姿が感じられました。聞いていると、英語なのに、歌詞がすっと心に入ってきて、私を落ち着かせてくれたのです。辛かった一時期、私は、このアルバムを聞いて、救われました。Jojiさん、本当にありがとう。

 

 

特に、お気に入りの3曲をご紹介しましたが、このBallads1は前回のブログでもご紹介した、Slow dancing in the darkを始め、珠玉の名曲ぞろいなので、是非一度、お手に取って聴いていただきたいな~と思って、絶賛おすすめしてしまいます。

 

ミュージシャン”Joji”について語ってみた

こんにちは。音楽とフィギュアスケート好きのおばさんが、ブログを始めることになりました。

まずは、軽く自己紹介。東日本在住で、ダンス、フィギュアスケートをこよなく愛し、音楽鑑賞を趣味とする。普通のおばさん、ya-koです。

 

記念すべき、第1回目、何について書こうか、考えたとき、今、一番はまっているアーティストへの思いを形に残しておきたいと思い、彼について書くことに決めました。

アーティストの名は。。。「Joji」。

知る人ぞ知る、謎が多いシンガーソングライター。生まれは日本の大阪で、日本人とオーストラリア人のハーフ。18歳の時に渡米。Youtuberを経て、アルバム、「Ballads1」がビルボードHipHopチャートで1位、総合でも3位という記録を打ち立てました。日本国籍では、坂本九を超える快挙なのに、なぜか、日本で話題にならなかったのは、2018年の事。

私が彼を最初に認識したのは、その年に行われた、フィギュアスケート世界選手権大会でのこと。

 当時、私は、アメリカの男子フィギュアスケーター、ヴィンセント・ジョウの大ファンで、ヴィンセントが世界選手権3位に確定し、エキジビションで披露した演目で使われたのが、Slow dancing in the darkという曲だったのです。…*1

youtu.be

youtu.be

独特の暗い歌詞、美しいメロディー、淡々としたボーカル、単純に「いい曲だな~」と思い、彼のことを検索するのに、時間はかかりませんでした。

ほどなく、Jojiがフィルシー・フランク…*2という名義でYoutuberをしていたことに行きついた私は彼の動画を見ることに。

 

動画を見た印象は、一言では言い表せません。ミュージシャンとして活動している姿からは想像できぬ、奇行、下ネタ、口あんぐりです。下品な日本語に感じるフラストレーション、日本語で、どんな意味を持つ言葉か、十二分に分かっているだろう、表情。

驚いたのと同時に、複雑な気持ちになりましたね。「日本で、嫌なこと、あったのかな。。。」そんな思いが瞬間的に沸き上がり、そっと、動画を閉じたことを覚えています。

 それから、少し、時がたち、Jojiさんに本格的にはまるきっかけになった動画をご紹介します。アメリロサンジェルスで活躍しているダンス集団、Kinjazのダンス動画にJojiの「Sanctuary」が使われていたのです。

youtu.be

聴いた瞬間、「なんて、素敵な声! この人、やっぱり天才だ!
」そう、確信した私は、Jojiの曲を次から次へと、検索し、インタビュー動画を漁る日々を繰り返しました。そう、完璧「沼落ち」の状態です。一度、封印していたYoutube動画も、見返し、フィルシー・フランクが日本語で話している部分の特集動画を見たときに、ふと、気づきが訪れたのです。

 

「この人、クレイジーで、ダークで、エキセントリックな人だと思っていたけど、それだけじゃない。シャイで、ピュアで、センシティブなところもある、若いお兄さんなんだ」

そう感じた瞬間、更に私は「ギャップ萌え」と言う感覚を実感したのでありました。

 Jojiがフランクの動画の他に始めていた、Jojivlogという動画には、彼のお友達が時折、顔を出し、彼とふざけあって、笑っている姿をよく目にします。彼が通っていた、神戸のインターナショナルスクール時代のお友達なのかな、と思うのですが、「もしかして、ハーフ? 」と感じられる彼らと、流ちょうな日本語と英語を交えながら話すJojiを見ていて、自分が知らなかった、日本の姿みたいなものに、気づかされました。

 日本で暮らし、日本語を話し、だけど、どこかで「外国人」扱いされてしまう。Jojiは、どんな気持ちで過ごしていたんだろう。そういう、複雑な気持ちをもっているのは、きっと、Jojiだけでは、なかったはず。動画に登場していた彼らは、同じ痛みを共有していたのかな… 日本は、私が思っていたより、ずっとずっと多様な文化が生まれつつある。その変化に、日本人が気づくのが、自分も含めて、とても遅くて、彼らを傷つけてしまっていたのかな。

Jojiを通して、今の日本の、日本人の在り方を考えさせられました。

 彼が自分を日本人か、そう思っていないのか、私にはわからない。でも、Jojiが日本語を話しても、英語で歌っても、彼がどこで暮らしていても、JojiはJoji。 私は、それが、一番大切なことなのだと思っています。

 Jojiを通して、SNSで何人かの方と、つながることができて、一人で推している時より、連帯感も感じられるようになりました。

 今、Jojiは、二枚目のアルバム、「Nectar」を発表し、沈黙を続けています。でも、また彼がライブを行ったら、その時は、日本のJojistanで集結し、みんなで、「daaaaark」を熱唱したい。会場にいなくても、気持ち、届けるよ。Jojiくん。いつか、きっと。

言葉にすれば、思いは、現実に近づくから。小さな東日本の片隅で、推し活に力を入れる決意を固める今日、この頃なのです。

 

***1 日本のスケオタの間で、この曲は「スロダン」と呼ばれています。

***2  日本語で「汚いフランク」の意味。彼は、別のキャラクターPink guyでも注目されていました。