氷上の名プロデューサー トム・ディクソンさんを語る

トム・ディクソンという振付家を知っていますか? アメリカ・カリフォルニア州出身の元フィギュアスケーターで、現在、数多くのフィギュアスケーターの振付をてがけていらっしゃる方です。今回、個人的に思い入れのある、トム・ディクソンプログラムをいくつかご紹介したいと思います。

 

私がその方の振付に注目したのは、2008-2009シーズン。アメリカの人気フィギュアスケーター、ジェレミーアボットのフリープログラムを見たときからでした。

演目は、エイト・シーズンズ(アストル・ピアソラメドレー)。もともと、表現力には定評のあったジェレミーでしたが、この演目は衝撃的でした。紫色のコスチュームに身を包み、ピアソラのタンゴに合わせて滑りぬけていく彼は、繊細でとてもソリッド! ポーズ一つ一つが次の動きと連動していて、無駄な動きがひとつもない。疾走感の中で、ジェレミーはとても輝いていて、魅惑的に見えました。

ジェレミーは、2009-2010シーズンのEXでも、トム・ディクソンの振付を披露しています。ダニエル・べディングフィールドのGotta Get thru Thisで、攻撃性と、独特のクールさを披露し、こちらも、最大限、ジェレミーの魅力を引き出していて、何度も見たくなる振付です。

「トム・ディクソンさん、スケーターの魅力を最大限に引き出す振付家だな。。。」そう感じた私は、その後、トム・ディクソン振付と聞くと、依頼した選手に肩入れしてしまいたくなるほど、この振付家に魅了されていきました。

 

トム・ディクソンプロに心を留める機会は、またすぐにやってきました。

2012-2013シーズン、アメリカのフィギュアスケーターアレクサンダー・ジョンソンが滑るフリープログラム。ビートルズのエリナー・リグビーです。

こちらの選手は、国際試合で目立った経歴のある選手ではありませんでした。しかし、流れるようなスケーティングには以前から定評がありました。昔からフィギュアスケートを好きだったファンや、解説杉田秀男さんから、大絶賛されている、知る人ぞ知る名選手です。

ビートルズの楽曲が、シンプルな弦楽器で奏でられていく中を、アレックスは時に抑制され、時に躍動感のあるムーブメントを発揮してくれます。彼の持ち味は、スケーティングの中、指先ひとつひとつまで、神経を使い、手を抜かないこと。大技はないけど、チェンジエッジからのトリプルアクセルとか、随所に凝ったテクニックを見せることです。様々なテクニックをプログラムにちりばめながら、何かを探し求めているようなドラマ性を感じさせてくれるプログラム。終わった後に静かな感動が生まれました。特に、全米選手権大会で魅せたフリープログラム、会心の出来だったのか、終わった後、アレックス本人も、トム・ディクソンさんも涙ぐんでいたのが印象的でした。歴史の1ページに華を添えるプログラムであると、個人的には思っています。

トム・ディクソンは日本人のスケーターにも名プログラムを振り付けています。2014-2015シーズン、宮原知子選手のミス・サイゴン。彼女の名を世界的に知らしめたプログラムと言っても、過言ではないと思います。

冒頭から、コントロールされたジャンプテクニックを発揮する宮原選手。ジャンプはどのジャンプも音の盛り上がりによく合っていたと感じます。そして、オリエンタルなムードの漂う楽曲。音の拾い方において、彼女は、繊細で機敏な所作を随所に見せ続けていました。そこには、聡明で凛としたアジア女性像が感じられました。彼女は、このプログラムをきっかけに、一部の海外ファンから「タイニークイーン(小さな女王)」と評されるようになっていきます。それまで、控えめなイメージだった宮原選手が、自身の魅力を外側に向かって放出し始めたのは、このプログラムがきっかけだったのかな?と思うのです。

 

更に、日本の現エース紀平梨花選手も、トム・ディクソンプログラムで滑っています。2018-2019シーズン、フリープログラムの「ビューティフルストーム」。このプログラムは、地球誕生がテーマの非常にチャレンジングなプログラムでした。

冒頭から終盤まで、全てのテクニックに意味があると思わせてくれるプログラムだったと思います。彼女がトリプルアクセルやコンビネーションジャンプ、スピンを行うたびに、雷が鳴り、火山が怒り、静かに雨が降り、大陸が出来ていく、そういったイメージが立体的に浮かび上がってきました。彼女は、その確かな技術力で、振付の意味を十二分に理解して伝えられる独特のセンスがあるのでしょう。とにかく、演技中の類まれなスピード!紀平選手と言えば、ビューティフルストームは外せない存在感を放っていると思います。

 

トム・ディクソンのプログラムを滑る選手たち、なぜか、シーズンを通して、目立ったミスをせず、プログラムを完成させていることが多いのです。それはなぜなのか。推測ですが、トム・ディクソンさんは、選手一人ひとりの魅力を理解して、その選手のモチベーションを持ち上げることに長けているのではないかと思います。そのことは、演技を通して、それぞれのスケーターのその後の発展に、大きく貢献していることからもうかがえるような気がします。正に、氷上の名プロデューサーといえるのではないでしょうか。

 

本当に魅力的な振付が多いトム・ディクソンさん。多くの人がもっと彼の良さに興味を持ってくれたら。そして、今後も素敵なプログラムがどんどん開発されていったら。一スケートファンとして、そのようなことを願わずにはいられません。