Languages are Love

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 

 

短大の研修旅行で、イギリスにホームステイをしていたのは、二十歳の夏のこと。ロンドンから車で2時間近くかかる田舎町だった。当時の自分は、今より世間知らずで、夢ばかり大きかった。

その日、バスで15分くらいの学校へ通うために、いつもより早く、ホストファミリーの家を出た。バス停でバスを待っていた時、足の不自由そうなお年寄りの男性が、私の前を通りかかった。「Hello」彼はか弱い口調で私に語り掛ける。私も「Hello」と挨拶を返した。そのお年寄りは、毎朝、そのバス停を決まった時間、通り過ぎていく人だった。多分、散歩の途中経路だったのだろう。その日はなぜか、バス停を通り過ぎずに、私の隣にならんでいた。そのまま10分、なぜか、バスが来ない。時計をみて、バス停の時刻表がかいてある学校からもらったパンフレットを交互に確認した。発車時刻を過ぎても、バスが来る気配がない。「あれ?おかしい?」どうやら、バスの時間を間違えたようだ。不安が押し寄せる中、さっきのお年寄りが私に声をかけてきた。「どこへ行くバスを待っているの?」多分、英語でそう問いかけてきたのだと思う。「〇〇行のバスです。」つたない言葉で答える私。すると、彼は更に言った。「そのバスは、今の時間、ここには来ない。そのバスが通るバス停まで行かなきゃいけないよ。連れて行ってあげるから、ついてきなさい。」見ず知らずの人にそう言われた。今の時代だったら、警戒するだろう。その時の私も、内心戸惑った。彼は、私の顔を見ながら、不自由な足で数歩歩いて、私に手招きをした。頭の中はぐるぐるしていた。果たして、ついて行っていいの?話をして数分しか経っていない人のことを信用していいの? そう思いながら、彼の目をみた。優しく、どこか、悲しみを含んだ目に、人を騙す色は感じなかった。悪意を持っていないというのは私の直感だった。そして、ここでバスを待っていたら、私は間違いなく、学校へは行けない。迷った末、直感を信じて、彼の後をついていくことに決めた。私たちは、会話することなく、歩き続けた。長いような短い沈黙。迷い。でもなぜか、彼は嘘をついていないという不思議な確信。足を引きずりながら、必死に彼は私の前を歩いてくれた。何度も何度も、後ろにいる私を確認してくれながら。間もなく、大きな通りに二人はついた。お年寄りはあるバスの運転手に何かを説明してくれている。そして、私の方へ向き直り、「このバスが〇〇へ行くバスだよ。ここに乗っていけば、すぐに君の学校へ着く。行っておいで」正確にそう言ってくれていたかは分からない。ただ、単語と単語のつながりや、彼の目が伝えてくれるメッセージを私はそのまま受け取った。「Thak you!」そう言うのが精いっぱいだった。そのバスに乗り込むと、彼はバスの外から力なく手を振ってくれた。バスはそのまま、無事に目的地に着き、私はなんとか、学校に遅刻しながらもたどり着いた。

後にホストファミリーにそのことを伝えたら、「なんで戻ってきて、私に言わないの!」と怒られてしまい、数日間、バス停までホストマザーが送ってくれる事態になってしまった。そりゃそうだ。私は運がよかったにすぎない。知らない国の知らない人についていくなんて、今の私、今の状況では考えられないし、第一、現代の世の中はどんな人が近づいてくるか分からないくらい危険になってきている。

ホストマザーの護衛の元、バスを待つ数日、なんと、あのお年寄りは毎日、私たちの前を横切って、「Hello」と声をかけてくれた。私も、「Hello」と返す。そんな日々は、私がその町を離れるまで、毎日続いた。今になると、あのお年寄りは、毎日、私が無事に学校に行けているか、見張ってくれていたような気がする。通り過ぎるときの眼差しは温かく、言葉を超えて、私の心に届くものがあった。

町を離れる少し前に、私はホストマザーと少しだけ話をした。自分の将来に対する不安、もっと、英語を勉強したい思い、そして、英語がうまく習得できない焦り。そういったことをつたない英語で伝えると、ホストマザーは自信たっぷりに私にこう言った。「Ya-ko、Languages are Love.」私は今でも、この言葉を座右の銘にするくらい、気に入っている。そして、この言葉を思い出すとき、必ず、あの日、私をバス停まで、連れて行って、毎日私の様子を見てくれた、あのお年寄りを思い出す。まだ、世界が平和だった時代、人の目と目をみて、思いを受け取れていた時代、言葉を超えて、優しさに触れられた時代。知らない土地で出会った人の優しさは、今の私を動かしてくれている。そのことをきっかけにもっと、英語をうまくなろうと思った。忙しい合間を縫って、英語を勉強し、当時よりは少しだけ、英語を理解できるようになってきた。本当のコミュニケーション、本当の優しさをいつか、自分も誰かにシェアできるように。私はこれからも勉強を続けていこうと思う。あの日のあのお年寄りを見習って。Languages are Love。