Home sweet home~2つの街に暮らして~

今週のお題「住みたい場所」

住みたい場所を自分に問いかけたときに二つの街が思い浮かぶ。もしかしたら、とても当たり前な結論になってしまうかもしれない。けれども、私にとって特別な場所だ。

 

5歳まで、とある東京の下町感のある街で暮らしていた。環七の近くのとてもこじんまりした商店街のある街。記憶と言えば、断片的なものだ。オルガンのある部屋から、見つめていた、赤い夕焼けと、豆腐屋さんのラッパの音。

5歳の時、父の仕事の関係で、東北地方の街に引っ越しをしたとき、ごみごみした建物が何もなく、ひんやりした風がとても澄んでいたことを覚えている。

正直、新天地の暮らしはいい思い出ばかりではなかった。内向的な性格と、独特な閉鎖社会が関係したのか、長いこと、新しい土地になじめずに、いじめも経験した。

毎日、夜になると、東京の夕焼けのことを思い出し、仲の良かった友達や、親戚や、自由な街並みに思いを馳せた。「東京に戻りたい。。。」そう思って、学校帰り、半ば家出のように駅に向かって歩き出そうとしてしまったことさえある。

時が流れ、自分が大人になるにつれ、何もない田舎だと思っていた街は、どんどん、都市化が進んで便利になっていった。ビルが増え、ショッピングモールも近くにでき、学校帰り、仕事帰りに時間をつぶす場所も増えていった。そして、街中の緑の美しさに心を癒されることが増えた。海にも山にも近いこの街を美しいと感じ、時と共に居心地の悪さは、薄れていったのだと思う。でも、幼少期から続いてきた劣等感のせいか、自分の住む街を「ふるさと」と呼ぶことにわずかばかりの抵抗があった。

そうして、2011年の3月、大きな地震が私の街を襲った。私は、沿岸部の人たちほど、大きな被害を受けたわけではなかった。それでも、昨日まで、人が行き交い、活気があった自分の街のあちこちにブルーシートがかけられた屋根が見え、人影が消えた。暗さに沈んだ通りを歩く度、心の奥が痛んでいくのを感じていた。会社帰りのある日、街のスタジアムに「俺たちの街に笑顔を取り戻そう!いつの日か」という横断幕がかけられているのを見たとき、自然に涙が零れ落ちた。
とりもどしたい、みんなの笑顔を、そして元気を。長い時間をかけて、私は東北の人間になっていたのだ。この街は、まぎれもなく、私のふるさとなのだ。こんな状況でやっと、私は私にとってかけがえのない場所の存在に気づけたのだった。

震災から数年たち、少しずつ、街の復興が進んできたとき、私は東京の暮らしていた場所を再び訪ねた。親戚と、震災の頃の恐怖を共有し、一枚の写真をデジカメでみんなに見せたとき、全員、思わず目に涙を浮かべていた。昔住んでいた家の近く、川が流れるその光景に映っていたのは、赤い夕焼けだった。そう、私がオルガンの部屋からみていたのと同じあの赤い夕焼け。それは幼い頃、初めて夏という季節を認識した私にとっての特別な光景だったのだ。久しぶりにあのころと変わらない、真っ赤な夕焼けと環七の景色を写真に収めたとき、この場所も自分にとって、やはり特別な「ふるさと」なのだと、思った。

 

 

ふるさとのことを考えていた時に、心に沸き上がってきた曲を紹介したいと思う。

土岐麻子の「Home」とクラムボンの「タイムライン」。今の私の気持ちをすごく表現できる曲だと思う。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

どんな街に住みたいか、今聞かれたら、やはり今住んでいるふるさとと、昔住んでいたふるさと両方に住みたいと私は答えるだろう。「ただいま」と言える澄んだ風の東北の街と、特別に美しい夕焼けが見えるあの東京の街。二つの街は、自分にとっての「Home sweet home」だ。